夏目玲子の憐憫~21gの行方~ 【2:1 60分 ミステリー台本】

ミステリー 男2女1 60分台本

台本あとがきあり。キャラ詳細はそちらで

ト:の表記はト書きです。

夏目玲子(なつめ れいこ)

有栖川倫太郎(ありすがわ りんたろう)

眞道灼(しんどう あらた) 


****以下本編****


ト:冒頭モノローグ

夏目玲子:

人の心を知りたかった。

愛憎、憧憬、怨嗟、随喜、悲哀、憤怒、驚嘆、畏怖

人の心は、知れば知るほど遠のいていく。

解はなく、その在り様は常に変化し、数多の名を持つ。

だが、解はなくとも、真実はある。

心、魂、感情。

形を持たぬそれらは、それ故に不滅であり、死してなお輝く。

遺されたものを、時に導き、時に惑わすその光は、確かにそこに在ったのだから。

ト:場面転換・玲子の探偵事務所が二階にあるビルの通路。事務所へ歩みを進める倫太郎。

ト:階段を上る音

ト:寂れた鉄筋コンクリート雑居ビル・二階

ト:埃っぽく、古い紙と煙草の匂い、わずかな酒気が漂っている

ト:木製のドアを開ける

ト:ブラインド越しに僅かな陽光が差し込み、規則的な寝息が聞こえてくる


有栖川倫太郎:

「うわぁ。また散らかってる。二日前に掃除したばっかなのに。玲子さん?玲子さーん?」

ト:自席で眠っている玲子

有栖川倫太郎:

「はぁ。黙ってれば美人なのに」

夏目玲子:

(寝息)

有栖川倫太郎:

「玲子さん!起きてください。今日はこの後、眞道さんが来る予定でしょ?少しは部屋片付けてくださいよ」


ト:倫太郎、ブラインドを上げる


夏目玲子:

「んぅ――んん?あぁ、倫太郎君じゃないか。おはよう」

有栖川倫太郎:

「おはようじゃありませんよ。もう昼過ぎですよ」

夏目玲子:

「ああ、いやね。昨日はちょっと酒がすすんでしまってね、へへ」

有栖川倫太郎:

「まったく。ここ、事務所も兼ねてるんですよね?こんなんじゃ応接なんて出来ないじゃないですか」

夏目玲子:

「だからいつもは下の喫茶店で話を聞いてるんだが、君をバイトに雇ってからはここを使えて大変満足しているよ」

有栖川倫太郎:

「喫茶店でって。仮にも探偵への依頼なんだからプライバシーとかあるでしょふつう」

夏目玲子:

「構わんさ。どうせ客なんてほとんど来なくて閑古鳥が鳴いてる店だからね」

有栖川倫太郎:

「はぁ。とりあえず顔でも洗ってきてください」

夏目玲子:

「んー。灼が来るまでまだ少しあるな。シャワーでも浴びることにしよう」

有栖川倫太郎:

「そうやってぎりぎりまで時間を潰して、掃除を丸ごと僕にやらせるつもりですね」

夏目玲子:

「なかなか鋭いじゃないか。さすが私のワトソン君」

有栖川倫太郎:

「茶化してないで、さっさとしてください」

夏目玲子:

「承知した。―――覗いてもいいよ?」

有栖川倫太郎:

「覗きませんよ!」

夏目玲子:

「あっはっは」

ト:別室脱衣所へ消える

有栖川倫太郎:

「ほんと、残念美人なんだから。っと。早く片付けなきゃ時間になっちゃう。これはこっち。これはゴミに出してっと」

ト:掃除に取り掛かる倫太郎

ト:適度に間

ト:ノック音

有栖川倫太郎:

「あっはーい!」

眞道灼:

「おや、有栖川君か。こんにちは」

有栖川倫太郎:

「眞道さん。こんにちは。予定より少し早いですね」

眞道灼:

「玲子のことだから、どうせ時間通りに来ても予定通りには行かないからね」

有栖川倫太郎:

「あはは。流石、よくご存じで」

眞道灼:

「まあでも、有栖川君が来てくれて良かったよ。少しはマシになったようだ」

有栖川倫太郎:

「だといいんですけど」

眞道灼:

「本当さ。前までは約束を反故にして姿をくらませることも珍しくはなかったし、この事務所は足の踏み場もなかった」

有栖川倫太郎:

「足の踏み場に関しては今でも気を抜けばあっという間に元通りですよ」

眞道灼:

「まるで花壇の雑草だな」

有栖川倫太郎:

「さしずめ、僕は除草薬ですか」

眞道灼:

「ははっ。そうだね。折角綺麗に咲いた花も、周りが雑草だらけでは台無しだ」

有栖川倫太郎:

「世話をする方は骨が折れます」

眞道灼:

「で、その花は?」

有栖川倫太郎:

「水を上げてるところです。今支度して――」

ト:脱衣所のドアが開く音

夏目玲子:

「おや灼、来てたのかい」

眞道灼:

「―――はぁ」

有栖川倫太郎:

「れ、玲子さん!!服を着てください服を!!」

夏目玲子:

「おっと、すまないすまない」


ト:玲子、着替えに別室へ


有栖川倫太郎:

「ちゃんと髪も乾かしてくださいよー!」

夏目玲子:

「君は私のお母さんかっ!」

眞道灼:

「まったく、相変わらずのずぼらさだな」

有栖川倫太郎:

「す、すみません」

眞道灼:

「君が謝ることじゃないさ。座っても?」

有栖川倫太郎:

「どうぞ。僕、ごみをまとめて廊下に出してきますので、少し待っててください」


ト:室内中央の応接用テーブルを挟んだふたつのソファ。入り口側の客用ソファに腰かける灼


有栖川倫太郎:

「ふぅ、お待たせしました。今お茶を出しますね」

眞道灼:

「あぁお構いなく。それよりどうだい有栖川君。玲子の助手は?」

有栖川倫太郎:

「退屈しませんよ。いろんな意味で」

眞道灼:

「ふっ、気苦労が絶えないといった感じだね」

有栖川倫太郎:

「玲子さんは確かに凄い人ですけど、いろんな意味で常識外れですからね」

眞道灼:

「俺としては、社会人として人並みと呼べるくらいには有栖川君に躾けてほしいのだがね」

有栖川倫太郎:

「手に余ります。問題が起きないようにフォローするので精一杯です」

眞道灼:

「それで充分助かっているから、まあこれ以上は高望みというものだな。ははっ」

有栖川倫太郎:

「眞道さんこそ、長い付き合いなんですよね?なんであのまま放っておいてしまったんですか」

眞道灼:

「決まってるだろ?手に余るから、さ」


ト:玲子、着替えを済ませて入室してくる


夏目玲子:

「聞こえてるぞー。まったく人のことを無遠慮にずけずけと言ってくれるじゃないか」

眞道灼:

「悔しかったら事務所くらい自分で綺麗に掃除したらどうなんだ」

有栖川倫太郎:

「そうですよ。掃除してもすぐに元通りで、キリがないです」

夏目玲子:

「君のバイト面接のとき、契約書に書類整理などの事務仕事も含むって書いてただろう?」

有栖川倫太郎:

「飲み散らかした酒瓶の始末とは書かれていませんでした。ていうか飲みすぎですよ」

夏目玲子:

「考え事や書類整理に不可欠な必要経費だ」

有栖川倫太郎:

「アルコールは脳細胞を破壊しますよ」

夏目玲子:

「あれは禁酒法を推し進めたがった政治的背景や禁酒主義者たちが流布した虚言さ。飲酒で脳のニューロンの交信に支障をきたすのは肝臓で分解しきれないアルコールが血中に溶け込んで脳に達した時であって、その場合も細胞自体が破壊されるわけではなく――」

有栖川倫太郎:

「あーもう分かりましたって」

夏目玲子:

「分かればいいんだ分かれば。ん?倫太郎君、灰皿は?」


ト:室内中央の応接用テーブルを挟んだふたつのソファ。部屋の奥側(灼とは逆)のソファに腰かける玲子


有栖川倫太郎:

「吸い殻が山盛りだったので、向こうで洗おうかと」

夏目玲子:

「じゃ、灰が落ちるまでに持ってきてくれ」


ト:玲子、煙草に火をつける


有栖川倫太郎:

「まったく、人使い荒いんだから」


ト:倫太郎、灰皿を取りに行く


眞道灼:

「ほんとにお前は傍若無人だな」

夏目玲子:

「ん?私は毒を焼き入れた匕首(あいくち)なんて持ってないぞ」

眞道灼:

「未成年に酒を片づけさせ、灰皿を持ってこさせるその態度のことを言っているんだ」

夏目玲子:

「倫太郎君なら数日前に二十歳になったよ」

眞道灼:

「数日前だろ?有栖川君がバイトを始めて数か月経つが、いつもこんな調子だったじゃないか」

夏目玲子:

「うるさいうるさーい。というか、正論パンチで美人をいじめて楽しいか」

眞道灼:

「お前の美人は他が足を引っ張ってトータルでマイナスだ」

夏目玲子:

「ふふーん。灼のいいところは美人を否定しないところだ」

眞道灼:

「お前の質(たち)の悪いところはそれを自分で言うところだ」

夏目玲子:

「いいじゃないか。君の凡庸な奥さんは子育てに多忙なようだし、たまに美人と会話するくらい役得だろう」

眞道灼:

「――なんでわかる」

夏目玲子:

「君の子供が生まれて数か月なのと、その子が第一子なのを考えれば一般論からでもわかることだが――あえてその謎を解体するならこうだ。

結婚して以降いつも君の頬についていた口づけ痕が最近ない。その代わりにペットの猫の毛が袖口についている。いつもは足元だけだ。そして君の表情。不満があるわけではないがどこか寂しそうで情けない。あぁ情けないは私の個人的な感想だが。

つまり、君の奥さんは子育てにつきっきりで君との時間は激減し、君は代わりに彼女が今までしていたペットの世話を任された。そして慣れない猫の爪切りの途中、見事に引っかかれたのがその左手の甲に遺された傷跡だ」

眞道灼:

「なんで爪切りまで分かる」

夏目玲子:

「三本の爪痕のうち一つだけが浅い。へたくそな爪切りでご機嫌を損ねて仕返しをくらったことは明らかだ」

眞道灼:

「……」


ト:倫太郎、灰皿を置く


有栖川倫太郎:

「はい、どーぞ。これで準備はよろしいですか玲子さん」(皮肉っぽく)

夏目玲子:

「おうとも。さて、じゃあ話してもらおうか灼。今度の謎も、美味なんだろうな?」

眞道灼:

「(咳払い)お前好みだよ。正直俺たちにはお手上げだ。最近巷を騒がせてる連続殺人事件は知ってるな」

有栖川倫太郎:

「それって、似た背格好の男性ばかりが狙われてるっていう?」

眞道灼:

「そうだ。犯人は未だ不明。次の被害者が出る前になんとしても逮捕しなければならない。

マスコミに流れている情報はその程度だが――有栖川君、ちょっとグロテスクな資料になるが、目を背けるなら今のうちだよ」

有栖川倫太郎:

「だ、大丈夫です。口外もしません」

夏目玲子:

「それ込みのバイト代だからな」

眞道灼:

「そうかい。では、これを見てくれ」


ト:事件資料を見せる。


夏目玲子:

「ふむ」

有栖川倫太郎:

「これはっ」

眞道灼:

「検死時の写真だ。有栖川君の言う通り、被害者は身体的特徴に共通点の多い男性6人。死因は全員、薬物による中毒死だ」

有栖川倫太郎:

「薬物?だってこの写真は」

眞道灼:

「ああ。被害者は薬を盛られて意識を喪失。口と鼻をテープで塞がれて、一部の被害者は更に身体の一部を分断されていた」

有栖川倫太郎:

「鼻と口を塞いだうえに、手足を切断した?」

眞道灼:

「そうだ。さらに鑑識の報告では、手足を切断した遺体は、その切断面が熱で凝固していたそうだ。まるで火で炙られたように」

有栖川倫太郎:

「死体を切断した上に焼いた?死んだ後にまでそんな惨いことするなんて」

夏目玲子:

「倫太郎君、死体を、というのは早計だよ。灼、手足が切断され傷口が焼かれたのは、被害者が死ぬ前後、どちらだい?」

有栖川倫太郎:

「そんな、生きてるうちにそんな真似をしたっていうんですか?」

眞道灼:

「調査では、死亡する前だと判断されている」

有栖川倫太郎:

「っ!なんてひどい……」

眞道灼:

「怨恨による復讐の線を洗ってみたが、被害者には身体的特徴以外に接点はなかった。職業も区役所勤務の公務員や病院の機材管理員、置き薬の営業マン、飲料会社勤務の事務員などバラバラだ」

夏目玲子:

「逆に言うと、無職は居なかった?」

眞道灼:

「まあ、そうだな」

夏目玲子:

「灼。先ほど一部は、といったな。切断され、焼かれた被害者とそうでない被害者をまとめて、殺害された順番を教えてくれ」

有栖川倫太郎:

「順番?人数とか、共通点じゃなくてですか?」

眞道灼:

「最初の2名は、鼻と口は塞がれていたが、四肢は切断されていなかった。3人目は追加で右腕が切断され、斬られた腕の方も胴体の方も、傷口が焼かれていた。4人目は左腕で同様の犯行。5人目は右足」

有栖川倫太郎:

「6人目は、左足ですか?」

眞道灼:

「そうだ。もし次があるなら首だろうかと、対策班の俺たちもひやひやしているところさ」

夏目玲子:

「なるほど。およそまともな人間の犯行とは思えないね」

眞道灼:

「俺たちは猟奇殺人や快楽殺人、遺体を使って何かのメッセージを遺す計画的な殺人の線で調査している。ニュースでは報じられていないが、それでも現場発見者などの口コミでこの情報も広まりつつある。

都市伝説サイトなんかでは、妖怪や化け物の仕業だとか書かれ始めているな」

夏目玲子:

「ふっ。妖怪や幽霊が相手ならどれほど良かったか」

有栖川倫太郎:

「え、その方が良いんですか?」

夏目玲子:

「怪奇現象の類の場合、それは被害者の思い違いで、犯人なんて居ないからだ。怪異譚なんてのは御伽噺でしかない。それで人が死ぬなら、それは死んだ人に責任があるのさ」

眞道灼:

「お前、幽霊とか信じないタイプだもんな」

夏目玲子:

「あやかしの類は、結局のところ人間の認知機能のエラーだ。妖怪も霊も神も、人が創り上げた幻想だよ」

眞道灼:

「神は死んだ?」

夏目玲子:

「ニヒリズムか。だが結局の所、世界も宇宙も脳の中にある。信じる人の世界に霊はいるし、人間だけが神を持つのさ」

眞道灼:

「その肝心の脳味噌が認知エラーを起こすのだから、居ないモノさえそこに在る、か。バイアスとは実(げ)に恐ろしきかな」

有栖川倫太郎:

「ちょっと、難しい話で置いてけぼりにしないでもらえます?」

夏目玲子:

「はっはっは。なに、初歩的なことだよ倫太郎君。我々が持ちうる現実など、結局は意識に限界づけられている、ということさ」

有栖川倫太郎:

「それ、本当に初歩的ですか?」

眞道灼:

「まあ、そこは今深く考えるところじゃないから」

夏目玲子:

「灼、遺体の周囲の状況は?」

眞道灼:

「殺害現場は都内各所の廃ビルだ。人気のないところに連れ込まれて、あるいは連れ込まれる前に毒を盛られていたんだろうな。所持品は財布や時計など、金目のものをはじめ全て持っていかれて、身分証やケータイも見つかっていない」

有栖川倫太郎:

「じゃあ、金銭目的って可能性もあるんじゃないですか?」

眞道灼:

「それにしては殺し方が複雑すぎる。俺は逆に、金銭目的と見せかけるためのブラフだと踏んでる」

夏目玲子:

「流石、刑事殿は目の付け所が素晴らしい」

眞道灼:

「おっと皮肉か?その刑事殿が揃いもそろって行き詰ったから、こうして埃っぽい事務所を訪ねているんだが」

夏目玲子:

「ふふん。まあ気を悪くするな。本当に褒めているんだから。

遺体の様子は?地面に転がっていた?飾り付けや意味ありげな配置に並べられたりしていたかな?」

眞道灼:

「いや、普通に廃ビルに放置されていたテーブルなどの上に置かれていた。これが検死前、現場での写真だ」

夏目玲子:

「ふふん。なるほど、少ないな」

有栖川倫太郎:

「何が少ないんですか?」

夏目玲子:

「人の腕や脚を切断した時に、そこに在るはずのものだよ。

灼、切断された四肢はどれも最初からこの写真の位置にあったのかい?」

眞道灼:

「ああ。遺体はどれも、なんらかの台の上に横たわる様に置かれ、切断された部位は、元々繋がっていた箇所に並べられていた」

夏目玲子:

「切断され焼かれた四肢が元の場所に、か」


ト:玲子、煙草をゆっくりと吸い、紫煙を薫らせる


夏目玲子:

「遺体の下のテーブル表面に、擦過痕は無かったかい?」

眞道灼:

「擦過痕――いや、そんな記録はないな」

夏目玲子:

「では現場の痕跡の中に、足跡以外のものは?」

眞道灼:

「6件とも事件当日は雨だった。痕跡は少なく、毛髪などの手がかりもなし。他の痕跡で上手く拾えたのは小さなキャスター痕だが、これはキャリーケースか何かを持っていたものと思われる。ちなみに足跡から推測するに―」


ト:玲子、台詞を被せつつ、徐々に意識が明瞭でなくなり上の空になる様に。最後の三文字の読みは全て「ち」


夏目玲子:

「加害者は、女性。それも、二十代から、三十代。夜、跳ねる雨粒、ヒールの音、冷たい、コンクリート、身体から零れる、血、地、置―――」

眞道灼:

「ふっ。パズルのピースは揃ったようだな。有栖川君、下の喫茶店に行こうか」

有栖川倫太郎:

「え、もういいんですか?」

眞道灼:

「見てのとおりだ。もう『始まって』いるよ」


ト:玲子、椅子に腰かけたまま目を閉じ、前傾姿勢で両手の指先を合わせたまま瞑想


有栖川倫太郎:

「あぁ、入っちゃいましたね」

眞道灼:

「こうなってしまっては、玲子の中で答えが固まるまでは話しかけても返事はないし、てこでも動かない。下の喫茶店で時間を潰そう。三十分もすれば帰って来るさ」

有栖川倫太郎:

「はい。あ、ちょっと待ってください」

眞道灼:

「ん?」


ト:倫太郎、玲子の咥えている煙草を灰皿に置く


有栖川倫太郎:

「寝てるわけでもないのに、咥えたばこで火事なんて笑えませんから」

眞道灼:

「さすが、玲子の助手だよ。行こうか」


ト:場面転換・適度に間

ト:事務所のある雑居ビルの一階・喫茶店のカウンター席に並んで腰を掛ける二人

ト:灼と倫太郎、コーヒーを飲む


眞道灼:

「うん。やはりコスタリカのコーヒーは旨い」

有栖川倫太郎:

「僕は味の違いとか、よくわかりません」

眞道灼:

「それが普通だよ。近頃はコンビニのコーヒーだって充分に旨い。下手に知ったかぶりを決め込むより、素直に旨いと思ったら旨いと口にするくらいで構わないさ」

有栖川倫太郎:

「でも、コーヒー豆にだって貴賎があるじゃないですか。特別なものと、普通なものが」

眞道灼:

「特別だから良いというわけじゃないさ。他人の価値基準を知ることは大切だが、振り回されすぎるのは良くない。俺だって、いくら高級とは言われてもコピ・ルアクを飲もうとは思えないしね」

有栖川倫太郎:

「―――眞道さん、聞いてもいいですか?」

眞道灼:

「もちろん。話題のないコーヒーブレイクは退屈に過ぎるからね」

有栖川倫太郎:

「眞道さんと玲子さんって幼馴染なんですよね?玲子さんって、昔からああなんですか?」

眞道灼:

「ああとは、ずぼらな性格のことかい?」

有栖川倫太郎:

「いや、それは昔からそうなんだろうなって想像つきますけど。そうじゃなくて、あの瞑想のことです。考え事してるから、なんて集中力からは逸脱してますよ。周りのことが一切見えなくなるなんて」

眞道灼:

「まあ、そうだね。でもあれは、単に集中して思考しているだけというわけではないんだ」

有栖川倫太郎:

「というと?」

眞道灼:

「潜っているんだよ。人の心に。プロファイリングの延長、メンタルトレースとでもいうのかな」

有栖川倫太郎:

「人の、心に?」

眞道灼:

「加害者、あるいは被害者の犯行当時の心理を緻密にトレースし、犯行現場で何があったのかを追体験する。今回のように現場の詳細が分かれば事務所に居ながらにして全てを解き明かすし、現場に行けば犯行前後の事まで読み取る」

有栖川倫太郎:

「え、でもそれって」

眞道灼:

「そう、殺人事件の当事者を追想するということは、殺す感触も、殺される感覚も味わうということだ」

有栖川倫太郎:

「そんなのを、これまでも何度も?」

眞道灼:

「俺以外に殺人現場の調査依頼をする奴なんていないと思いたいが、君が来るまでにも7回は」

有栖川倫太郎:

「そんなに?それじゃあ、玲子さんの精神は」

眞道灼:

「崩壊する。普通ならね。何度も殺し、殺される経験をするのだから。でも、玲子は違う。あいつは特別だ」

有栖川倫太郎:

「特別――でも、眞道さんはそれが分かってて玲子さんに依頼を?」

眞道灼:

「俺だって、必要以上に玲子を苦しめたいわけじゃない。だが、今回のように事件解決が急務となる場合に玲子を頼らないのは――狡くて、不誠実だろう。

俺は刑事で、犯人を捕まえないと次の被害者が出て、そして、玲子に依頼すれば事件は解決に向かうことを知っている。

玲子という存在を、知ってしまっている」

有栖川倫太郎:

「それでも―」

眞道灼:

「それに何より、これは玲子の望むことだ。謎を暴き、人の心を転写する、それを玲子自身が望んでいる。玲子に負い目のある俺としては、なるべく彼女の望みを叶えてやりたいんだ」

有栖川倫太郎:

「負い目?」

眞道灼:

「まあ、それについてはいつか語る機会があれば、ね。ともかく玲子は特別――異常、と言ってもいい。彼女は、人の心が分からない」

有栖川倫太郎:

「え?それって矛盾してますよね」

眞道灼:

「玲子のトレースは、人の心に寄り添ってなりきっているのとは違う。共感しているんじゃなく、そこにあった感情を再演するんだ。現場の状況を緻密に構成し、追想する。ホルモンバランスや神経系を意識的に誘導し、感触や感覚さえ味わうほどに精巧に没入する。

包丁で刺された被害者の時は、目の前で突然呻き声をあげたかと思えば玉のような汗を噴出させていたし、首を絞め殺された被害者の時は失禁していた。現場の被害者にも、同じ痕跡が見られたよ。

でも、それはあくまで事件当事者のものを転写しているに過ぎない。玲子自身は感情とは無縁の人間だ。昔からね」

有栖川倫太郎:

「感情が無いっていうんですか?でも、玲子さん、普通に笑ったり拗ねたりするじゃないですか」

眞道灼:

「全部模倣だよ。周りの人間の真似をして、表層を取り繕っているだけだ」

有栖川倫太郎:

「あれが全部、演技?」

眞道灼:

「普通は分からない。俺のように、以前の玲子を知る者でなければ、まずそんな風には思わないだろう。ああやって普通の人間らしく振舞っているのが、偽物で借り物の感情だなんてね」

有栖川倫太郎:

「以前のって?」

眞道灼:

「玲子が今のように振舞う前までは、本当に喜怒哀楽が抜け落ちた人形のようだった。昔から変わり者で、人に馴染めず、人が分からず、人に理解されなかった。本当に、俺は今でも、彼女が恐ろしいよ」

有栖川倫太郎:

「っ―――なんでその話を、僕に?」

眞道灼:

「彼女が誰かを側に置くなんてことは、今までなかった。俺の知る限りはね。そして、それにしては君は、普通過ぎる」

有栖川倫太郎:

「普通――そうですね。僕は、普通過ぎます。玲子さんみたいな人と比べられたら、特に」

眞道灼:

「だから心配になった。理由なんてそんなものさ。有栖川君、逆に聞いてもいいかな?」

有栖川倫太郎:

「なんですか」

眞道灼:

「君は、神様を信じるかい?」

有栖川倫太郎:

「それってさっき玲子さんと話してた?」

眞道灼:

「そう。神様でも妖怪でも幽霊でもいい。そういった超自然的なものを、君は信じる?」

有栖川倫太郎:

「――居る、と、はっきりとは言えません。実際に見たことなんてありませんし。でも、居たらいいなって思うことはあります」

眞道灼:

「どうして?」

有栖川倫太郎:

「都合がいいんだと思います。居た方が。理不尽な不幸を神様のせいにしたり、どうしようもない時に無責任に縋れる存在って必要だと思いますから」

眞道灼:

「ふっ。なるほどね」

有栖川倫太郎:

「ん?なにか可笑しかったですか」

眞道灼:

「いや。ただ玲子が君を側に置いている理由が少し分かった気がするよ」

有栖川倫太郎:

「え?」

眞道灼:

「さて、戻ろうか。そろそろ、謎が解体され尽くした頃だろう」


ト:2階・玲子の事務所

ト:応接机を挟んで部屋の奥側に先ほど同様玲子が座っており、灼と倫太郎は反対側のソファに座っている


夏目玲子:

「さて、事件の概要を話す前に――倫太郎君、人の死について、考えたことはあるかい?」

有栖川倫太郎:

「人の、ですか?」

夏目玲子:

「ああ。これから語る事を考えると、人の死に限定しておかなければ余計なことまで論じる必要が出てくるからね」

有栖川倫太郎:

「あります。祖父の葬式に行ったときとかに、死ぬってどんな感じなんだろうって」

夏目玲子:

「どんな感じだと思う?」

有栖川倫太郎:

「衰弱死とかの前提ですけど。段々息が苦しくなって、指先から感覚がなくなっていって、視界が狭くなって、いずれ、最後の瞬きが訪れて、弱くなっていく自分の心臓の鼓動だけしか感じられなくて。そうして最後には、自分がなくなる、のかなって」

夏目玲子:

「なるほどね。君が考える死は、肉体の生命活動が停止したことによる意識の途絶、自意識の喪失。ではその後は?」

有栖川倫太郎:

「後、ですか?」

夏目玲子:

「そう。君は、魂の輪廻転生や地獄や天国への遷移(せんい)があると思うかい?」

有栖川倫太郎:

「僕は特に宗教には関心が強くないので、そういう思想は持ってませんけど、でも、天国で死んだ家族なんかに再会出来るなら、そうしたいです」

夏目玲子:

「ふふん。君は実に一般的だね。きっと君はガウス分布を取るアンケート結果の中でも平均値や中央値や最頻値を取るのだろうね」

有栖川倫太郎:

「どうせ僕はなんの変哲もないアベレージマンですよ」

夏目玲子:

「悪口を言ったつもりはないよ。褒めたつもりもないがね。平均であるということは、多くの共感を理解できるということさ。特別なことが良いわけじゃない。外れ値は往々にして統計、検定の邪魔になる」

有栖川倫太郎:

「でも、平凡な人から見れば特別は羨ましいです」

夏目玲子:

「隣の芝は、だよ。普通から逸脱しているものからすれば、当たり前の日常というのは喉から手が出るほど欲しいものさ」

有栖川倫太郎:

「話がそれましたけど、死とか魂が、今回の事件になにか関係しているんですか」

夏目玲子:

「ああ。とりわけ魂の方だな。君がそう願うように、一般的に生き物には魂と呼ばれるものがあり、死後肉体から剥離すると考えられている」

有栖川倫太郎:

「そうですね。天国や地獄に行くなり怨霊になるなり、魂は死後その人の人格を引き継いで霊体のようなものになるというイメージです」

夏目玲子:

「ではもう一つ問うとしよう。倫太郎君。魂に質量はあると思うかい?」

有栖川倫太郎:

「質量?物体として体積や重量を持っているかってことですか?イメージからするとそういうものはないと思いますけど」

夏目玲子:

「1901年にマサチューセッツ州の医師ダンカン・マクドゥーガルが行なった研究によると、人間の身体は死後3/4オンス、つまり21gほど軽くなるそうだ。彼はそれを、魂の重さだと発表した」

有栖川倫太郎:

「あるんですか?魂に重さって」

夏目玲子:

「さてね。だが今となっては実験方法の曖昧さもあって否定されている。魂について語り始めるとキリがないが、その存在は古代ギリシャの頃から語られている。呼吸も魂も呼気という概念で扱われ、死ぬと吐く息と共に魂が身体から抜けていくと考えられていた。

思想によって様々だが、人以外にも魂はあるとする考え方も多い。多少の違いはあれど、魂は存在する、と考える人は圧倒的に多い」

有栖川倫太郎:

「たしかに。幽霊を信じるかと問われれば信じないという人もたくさんいるでしょうけど、魂は存在しないという人はあまり見ないかもしれないですね」

夏目玲子:

「魂をどんな風に定義するか、という前提を飛ばして、魂はあると皆が信じている。そして、この21gが魂の重さであるという話は今でも様々なところで囁かれるんだ。何故だと思う?」

有栖川倫太郎:

「それは――ロマンがあるから、じゃないですか。魂が存在してほしいと思う人にとっては、その方が夢がある」

夏目玲子:

「出版バイアスで説明できるんだが――ふふん。そうとも言える。理屈や建前を度外視して『そうだったらいいな』という漠然とした願望がそうした言説を根強く流布させる。

有栖川倫太郎:

「死んだらそこで終わり、と考えるよりも、余程夢がありますからね」

夏目玲子:

「人は見たいものしか見えないし、信じたいものしか信じない。人間の頭というのは都合よく出来てるのさ」

有栖川倫太郎:

「でも、死んだ後のことなんて、誰にも分からないですよね?本当に魂があるかどうかなんて、調べようがないんじゃ?」

夏目玲子:

「それこそ、魂をどう定義するかで答えは変わってくるが、科学がその存在を証明するまでは、個の認知による、としか言えないね。そして今回の犯人にとって、魂とは肉体の中に潜む21gの物質だったというわけだ」

有栖川倫太郎:

「それって――」

夏目玲子:

「ああ。測っていたんだよ。魂の重さを」

眞道灼:

「犯人の目的は怨恨による復讐や猟奇殺人ではなく、魂の証明?動機は?」

夏目玲子:

「犯人は女性、被害者は男性のみでしかも身体的特徴が一致。そして怨恨による報復でも、狂気に染まった快楽殺人でもない。相手の身体を焼くという行為は強い復讐心を連想させる。強姦被害にあった女性が、口淫を強要された復讐に加害者男性の喉に煮えたぎった油を流し込んだ例もある。

だが今回は被害者の意識がない時に切断、焼灼(しょうしゃく)されている。つまり恨みを晴らすための犯行ではない。なにか合理的な意図があったはずだ。

一連の事件はその流れから見て、何か目的を果たすための予行演習と考えられる。つまり犯人の女性にとって、本命の男性がいる、ということだよ。彼らと同じ身長体重のね」

眞道灼:

「動機は痴情の縺(もつ)れか?」

夏目玲子:

「縺れか、と聞かれれば私は否定するよ。一方的故の異常な執着という感触がする。彼女の目的は、愛する男の魂を手にすること。常軌を逸した独占欲と狂気のなせる業(わざ)だ」

有栖川倫太郎:

「好きな相手の魂を、自分だけのものにしたい。深すぎる愛情が、歪んだ行動を引き起こしたってことですか」

眞道灼:

「予行演習と言ったな。鼻や口を塞いだり、肉体の断面を焼いたのは報復心などの衝動的な行為ではなく、必要な事だったと?」

夏目玲子:

「焼灼止血法だよ。映画なんかで見たことないか?傷口を焼いて止血する、前時代的な治療法さ」

有栖川倫太郎:

「あっ、玲子さんがさっき少ないって言ってたのは血痕――大量に出血したはずの血液のことだったんですね」

夏目玲子:

「ああ。腕や足をただ切断したのであれば大量の血痕が残るはずだからね。しかしもちろん、犯人の目的は止血による延命などではない。傷口を塞いだのは――」

眞道灼:

「血液の流出による重量の変化をなくすため、か。随分と荒っぽいな」

夏目玲子:

「しかしこの方法は確実で手っ取り早いよ。感染症などの怖れはあるが、もうじき死ぬ男には関係のないことだからね」

有栖川倫太郎:

「鼻と口を塞いだのも、同じ理由で?」

夏目玲子:

「呼気や粘膜から揮発(きはつ)する水分による質量変化を防ぐためだろう。なんともご丁寧なことだ」

眞道灼:

「では四肢を切り分けたのは?」

夏目玲子:

「部位を切り分けたのは、身体のどこに魂があるのかを見定めるためだろう」

有栖川倫太郎:

「え?脳じゃないんですか」

夏目玲子:

「ふふん。あるかどうかも分からないのに、何故魂の在処は脳だと決めつけるのかね?私のかわいいワトソン君」

有栖川倫太郎:

「そ、れは、事故で腕を失くした人だって、存命ですし」

夏目玲子:

「失くした腕分の魂を喪(うしな)った、とは考えられないかい?」

有栖川倫太郎:

「失くした腕の、魂?」

夏目玲子:

「幻肢痛という症例がある。失くした腕や脚が痛むんだそうだ。まだそこにあるかの様に。

私達は魂の形を知らない。それは脳や心臓に固まっているのかもしれないし、全身に薄く伸びているか、各所に点在しているのかもしれない。愛しの彼の魂に執着する彼女からしてみれば、本番前に実験すべき項目ではある」

眞道灼:

「じゃあ、もし次があるとすれば、まさか本当に首を?」

夏目玲子:

「いや、流石に首を切ってしまっては絶命まで間がないからね。悠長に切断している暇はないよ。ギロチンでも用意できるなら話は別だが。彼女の目的はあくまで死亡前後の体重の変化。彼女がどこまでの部位を試すつもりかは知らないが3回目以降の殺人――いや、実験で手足に魂があるかを確認した、というわけだ。念入りなことだね」

眞道灼:

「――動機、目的は分かった。では方法は?」

夏目玲子:

「(ため息)私は殺害の動機と、それに連なる手口にしか興味がない。私が知りたいのは何故殺したか、何故そうやって殺したのかだ。だから、どうやって体重を測ったかや、どうやって標的をリストアップしたかなんてものには微塵も興味がない」

眞道灼:

「だが、お前には見当がついている。そしてそれは犯人を追う最も重要な手掛かりになる。違うか?」

夏目玲子:

「何故そう思う?」

眞道灼:

「勘だ」

夏目玲子:

「――ふふん。やっぱり君には才能があるよ灼。私を楽しませる才能が」

眞道灼:

「というか、それだけでは捜査の進展につながらない。同じ身長体重の男性を全て調査しその交際相手をしらみつぶしにするのはナンセンスだ」

夏目玲子:

「仰るとおりだ。良いよ。そちらの謎も解体しよう。まず、女性がターゲットを探した方法について、容易に考えつくのは出会い系サイトだ」

有栖川倫太郎:

「あぁ、マッチングアプリですね?」

夏目玲子:

「え?」

有栖川倫太郎:

「はい?」

夏目玲子:

「まっちんぐ?アプリ?アプリでやるのか?最近は」

有栖川倫太郎:

「いや、僕も詳しくないですけど、最近はもう出会い系サイトなんて言い方しませんし、アプリで相性の良し悪しとか出るんですよ」

夏目玲子:

「ふーん、そうなのか。ふーーん」

有栖川倫太郎:

「なんですかその目。ほんとに詳しくないですよ。でも、ああいうのって男性側は結構細かいプロフィール書きますし、身長体重を重要視している犯人からすれば利用するのは理にかなってますね」

眞道灼:

「犯人は男女交際と偽って被害者と接触。食事をする機会は必ずあるだろうし、薬物を盛るのは容易、か」

夏目玲子:

「ふふん。犯人が被害者の所持品を持ち去ったのは、灼の言うとおり金銭目的の犯行の線で捜査の手を遅らせるためというのがひとつ。もう一つは、ケータイから痕跡を辿られることを避けるためだ。同一の身長体重の相手と短時間で出会うならこの方法が手っ取り早いが、素人が通信の痕跡を完全に消すことは出来ないからね。ケータイ端末ごと処分するのが一番だ」

眞道灼:

「では、遺体の――いや、死んでいく被害者の体重を測った方法は?」

夏目玲子:

「切断した部位については、そのまま持ち上げて計量器に乗せれば計測は容易だ。問題は残る身体の方。遺体を机の上で板状の何かに乗せた上で、更に体重計に乗せて測り、尚且つ遺体がそのまま机の上にあるならば体重計を引っ張った際に机に擦過痕が残るはずだ。遺体をわざわざ降ろして持ち上げたりするより、最初から乗せていた体重計を横から引っ張り出す方が自然だからね。

だが、擦過痕はなかった。なら、犯人は遺体が乗せられた机ごと重さを測った事になる」

有栖川倫太郎:

「机ごと重さをはかるなんてこと、どうやって?」

夏目玲子:

「こんなものは謎でも何でもない。知識が導く当然の帰結だ。答えは、スケールベッドだよ」

有栖川倫太郎:

「スケールベッド、って何ですか?」

夏目玲子:

「介護施設や病院などで寝たきりの患者に用いられるベッドのことさ。物によってはg単位での増減を計測できる」

眞道灼:

「だが、そんなものを現場に持ち込めるわけないだろ」

夏目玲子:

「ベッドそのものはね。だが、世の中にはベッドの脚、それぞれ四か所に設置することでどんなベッドもスケールベッドにしてしまう機材があるんだよ」

眞道灼:

「ベッドの脚に設置する機材――そうか!キャリーケース!」

夏目玲子:

「そしてそういう機材は往々にして一般人が手に入れることは難しい」

有栖川倫太郎:

「じゃあ、犯人はそういう機材をもった医療関係の職員、ってことですか?」

夏目玲子:

「そもそも、女性が成人男性の四肢を容易に切れると思うかい?医学的な知識、医療用のこぎりがあればその限りではないだろうがね。出血が少ないのも、電気メスなどを用いて切断と同時に傷口を凝固させていたからだろう。

ま、切断面を最終的に塞ぐのに、ガスバーナーなどを用いて広範囲かつ簡易的に焼灼した可能性はあるがね。

つまり、キャリーケースの中身は特殊な医療器具が詰め込まれていたことになる」

眞道灼:

「犯人は二十代から三十代で、専門的な機材を持つ病院の関係者で外科的知識を持つ女性。スマホを調べれば、マッチングアプリなどの痕跡から特定可能。これなら!」

夏目玲子:

「おめでとう灼。君の勘は正しかった」

眞道灼:

「ああ。機材の種類を特定し、その販売元を調べれば搬入先の病院は直ぐに分かる。大きな手がかりだ」

夏目玲子:

「ならばさっさと帰りたまえ。次の犠牲者はマッチングアプリに登録された誰かかもしれないし、彼女の本命かもしれないよ?なんといっても、彼女はもう魂の在処を探り当てたつもりでいるのかもしれないのだから」


ト:灼、鞄に資料をしまい、帰り支度をしながら


眞道灼:

「ああ、そうさせてもらう。礼を言うよ玲子」

夏目玲子:

「だったら今度は酒を持ってきてくれ。マッカランでいい」

眞道灼:

「依頼料は払ってるだろ。勘弁してくれ」

夏目玲子:

「ケチ。じゃあもう一つ、有用なヒントをあげよう。犯人の特徴だ」

眞道灼:

「なんだ?」

夏目玲子:

「美人だ」

眞道灼:

「―――ふざけてるのか?」

夏目玲子:

「いいや、大真面目さ。出会いけ――マッチングアプリとはいえ、犯人の望む限られた条件の男性がごろごろ居るわけじゃない。にもかかわらず、これだけ短期間に6人もの男性が誘いに応じたとなれば、声をかければ百発百中、といった具合だったはずだ。

つまり犯人の女性は容姿端麗。男の方はさぞ舞い上がったことだろう。実験台として毒殺されるとも知らずに」

眞道灼:

「たとえそうだったとして、審美眼なんて人によって基準がことなるだろ。当てにはならない」

夏目玲子:

「そんなことはないさ」

眞道灼:

「なぜ?」

夏目玲子:

「灼の価値基準が正しいからさ。さっき言ったろう?私を、美人だと」(自信満々のどや顔)

眞道灼:

「――(ため息)。

眞道灼:

「それじゃ、また来るよ有栖川君」

有栖川倫太郎:

「はい。あ、コーヒー、ごちそうさまでした」

夏目玲子:

「おいおい!私の酒は――」

眞道灼:

「犯人が本当に美人だったら持ってきてやる」

夏目玲子:

「ふふん。ならば貰ったも同然だな」

眞道灼:

「まったく―――有栖川君、一杯のコーヒーにきちんと礼が言えるその感性を忘れるなよ。高い酒を集(たか)るような大人になっちゃダメだ」

夏目玲子:

「ふーんだ」

有栖川倫太郎:

「はい。それじゃまた」

眞道灼:

「ああ」


ト:灼、退室


有栖川倫太郎:

「玲子さん、いくつか聞いても良いですか?」

夏目玲子:

「ああ、構わないよ。助手が質問して初めて、明かされる真実もあるものさ」

有栖川倫太郎:

「犯人は毎回キャリーケースを持ち歩いてたんですよね?不自然じゃないですか?」

夏目玲子:

「彼女は6回の殺害をいずれも雨の日に決行した。雨は犯罪の味方だからね。痕跡を洗い流し、他人やカメラの視線は傘が遮る。キャリーケースをゴロゴロ引く音だって、雨音が掻き消してくれる」

有栖川倫太郎:

「でも、被害者は?男女の関係になろうって相手がデートにキャリーケースはおかしいですよね?」

夏目玲子:

「彼女は魔法の呪文を唱えたのさ」

有栖川倫太郎:

「魔法の呪文?」

夏目玲子:

「ああ。それだけで男は違和感を忘れるどころか、その荷物の中身が披露されることを楽しみに待つようになる」

有栖川倫太郎:

「そ、そんなのどうやって」

夏目玲子:

「やって見せようか。私に聞いてごらんよ」

有栖川倫太郎:

「じ、じゃあ。そのキャリーケース、一体どうしたんですか?」


ト:玲子、椅子から腰を浮かし、机に手をついて前のめりになりながら倫太郎の耳元で妖艶に囁く


夏目玲子:

「私、激しいのが好きで、いろいろ道具を使うんです。だからこの後あなたとのお愉しみも、ね」

有栖川倫太郎:

「っ!!」


ト:玲子、椅子に戻る


夏目玲子:

「ふふん。分かったかな?男女の仲になろうとしている美人がこの呪文を唱えた時に、どれほど破壊力があるか」

有栖川倫太郎:

「は、はい…」

夏目玲子:

「まぁ男の想像するものは一切入っておらず、それどころか切開のための電気メスや傷口を焼くためのガスバーナー、四肢を切り落とすのこぎり、スケールベッドの機材に電源用バッテリーが詰め込まれた殺意一杯のびっくり箱なわけだが」

有栖川倫太郎:

「――じゃあ、次の質問です。犯人は、いずれこの実験の成果を利用して、自分が愛してる相手を殺してその魂を手に入れるって言ってましたけど、具体的にはどうするんでしょう?」

夏目玲子:

「彼女が、魂は首から上にあると判断したなら、生首まるまるホルマリン漬けというのもあるかもしれない。だが、私の推測では彼女は、恐らく食べるだろうな」

有栖川倫太郎:

「食べっ――」

夏目玲子:

「自分と一体にするのさ。ま、人間の肉体も代謝で創り替わるから、どうあがいても数年後には摂取した物は体内に残ってはいないがね」

有栖川倫太郎:

「ずいぶんと、り、猟奇的、ですね…うっ」

夏目玲子:

「人類史の中では食人種だっていたんだ。意外というほどでもないよ」

有栖川倫太郎:

「じゃあ、これが一番気になってたんですが、被害者が死んでいくとき、本当に21g減ったんでしょうか?本当に、魂に質量があるんでしょうか」

夏目玲子:

「それについてはさっきも言ったとおりだよ。私には分からない。ただ、彼女が測定した際に実際にそうなったのは2回目だけだろうね。最初は違う数値になって、不安になってもう一度試したところで21gに近しい数値になって安心した。しかしその後はきっとばらばらだったはずだ」

有栖川倫太郎:

「え?じゃあ、違う結果が出たのに、犯行を続けたってことですか」

夏目玲子:

「人間、一度始めてしまったことは中々やめられないものさ。たとえ間違っているかもと思っても、実行してしまった事のコスト、既に背負った投資の負債が大きいほど、辞めるのには勇気と冷静さが必要だ」

有栖川倫太郎:

「―――じゃあ、最後に。玲子さん。あなたに感情がないって、本当ですか?」

夏目玲子:

「おっと。急に予想外の角度からの質問がきたね。灼が何か言っていたかな」

有栖川倫太郎:

「詳しくはなにも。でも、あなたの振る舞いは全部演技で、読み取れる感情は全部偽物だって」

夏目玲子:

「ふふん。灼はほんと、おせっかいだな。倫太郎君、質問に質問で返す無礼を許してほしいのだが、君はどう思う?」

有栖川倫太郎:

「僕は、玲子さんの振る舞いが全部演技だなんて思えません。確かに普通の人とは違いますけど、玲子さんにだってちゃんと心が――魂があると思ってます」

夏目玲子:

「ふふん。魂か。――では、これについては答える意味がないな」

有栖川倫太郎:

「え?」

夏目玲子:

「だってそうだろう。私が、私に感情や心があると言っても、実はそんなものは無くて全ては贋作、模倣、演技でしかないと言っても、倫太郎君にとって私は魂を持った人間に見えている。なら、どう答えても何かが変わることはなく、答えた内容が事実であることを証明することもできない。ほら、意味がないだろう?」

有栖川倫太郎:

「僕が感じてる事以上の答えはない、ってことですか」

夏目玲子:

「まあ、一つ言えるとしたら、私の魂はきっと透明だろうということさ」

有栖川倫太郎:

「とう、めい?」

夏目玲子:

「透明故に、他人の魂、感情に綺麗に染まることが出来る。でも、それは決して自分のものではないし、透明故に、本当にそこにあるのか分からない」

有栖川倫太郎:

「じゃあ、神様と同じですね」

夏目玲子:

「ぷっ、あっははは。そうだね、そうともいえる。ふふん。そいつは面白いよ倫太郎君」

有栖川倫太郎:

「僕は、たとえ見えなくたって、今まで見てきた玲子さんが偽物だったなんて思いたくないです」

夏目玲子:

「君も死体を測ってみるかい?」

有栖川倫太郎:

「しませんよ、そんなこと」

夏目玲子:

「ふふん。実に普通の、月並みで、ありふれた答えだ。そう、私が透明だとすれば、君は虚ろだよ、倫太郎君」

有栖川倫太郎:

「虚ろ?」

夏目玲子:

「私は光があたっても色が浮かび上がらない透明。君はどこまで行っても普通で個性がない空虚。まるでどこまでも続く孔(あな)のようにそこに何もないから、そもそも光があたらない。普通過ぎて、没個性を極めていて、故に普通から逸脱している」

有栖川倫太郎:

「僕は普通ですよ。特別な人っていうのは、玲子さんみたいな人のことを言うんです」

夏目玲子:

「価値観の相違だな。故に人は面白いのだが――まあいい、そんなに特別が欲しいなら、私から君にプレゼントしよう。誕生日祝いだ」

ト:玲子、煙草を一本取り出す

有栖川倫太郎:

「――って、煙草ですか。そりゃ、たしかについ先日二十歳になったばかりでまだ吸ったことは無いですけど、それってそんなに特別ですか?」

夏目玲子:

「いいから、咥えなさい」

有栖川倫太郎:

「は、はい」

ト:玲子、自分も煙草を咥え火をつける

夏目玲子:

「(煙草を吸う)ふぅーー」

有栖川倫太郎:

「玲子さん?自分だけ吸ってないで僕にも火を―」

ト:玲子、自分の咥える煙草の火を倫太郎の煙草につける。互いに咥えたままやり取り

有栖川倫太郎:

「っ!?」

夏目玲子:

「ほら、吸って」

有栖川倫太郎:

「は、はい。(息を吸って火を貰う)」


ト:二人、紫煙をくゆらせる

ト:倫太郎、初めてのたばこにせき込む


有栖川倫太郎:

「(煙草にむせて咳こむ)」

夏目玲子:

「どうだい?人生で初めて吸う煙草がこんな美人からのシガーキスなんて、人類史上初かもしれないぞ?」

有栖川倫太郎:

「それは、そうですけど」

夏目玲子:

「まずいかい?」

有栖川倫太郎:

「まずいです」

夏目玲子:

「ふふん。だが君は、煙草の味を知った。もうさっきまでの君とは違う」

有栖川倫太郎:

「だからって特別になったとは言えないでしょ?」

夏目玲子:

「違うよ。大事なのは、変化したという事実さ。刺激を受容し、経験を積むことで、人は変化していく。世の中に上位互換はたくさんいるが、同一個体は存在しない。これは気休めでもなんでもなく、そこに存在しているという奇蹟、変化し続ける在り様が貴重だということさ」

有栖川倫太郎:

「玲子さん――」

夏目玲子:

「特別を特別たらしめるのは特別ではないその他大勢さ。大小様々な星が在るから星空は美しく、一等星の輝きはより鮮烈に焼き付くのさ」

有栖川倫太郎:

「それでも、六等星は一等星に憧れてしまうことだってあります。そんな風になれないと分かっていても」

夏目玲子:

「じゃあ、その六等星が、自分のことを一等星だと本気で思い込んだ場合はどうだい?」

有栖川倫太郎:

「そんなの、惨めなだけじゃないですか」

夏目玲子:

「それは、本気でそう思い込んでいないからだね」

有栖川倫太郎:

「そんなことが出来るとしたら、その六等星がやっぱり特べ――あっ」

夏目玲子:

「そう、人は認識一つでその性質を変える。たとえ本質が変わらずとも、ね。さっき君が言ったとおり、神様と同じさ。死体を測って想定した数字がでなくたって、そこに魂があると思えばその人にとってはそれが真実なのさ。

変わっていけ、少年。君がいつか魅せる輝きをこそ、私は楽しみにしているよ」

有栖川倫太郎:

「……」

夏目玲子:

「それにしても、彼女は憐れだな。

有栖川倫太郎:

「彼女って、犯人がですか?どうして?」

夏目玲子:

「死んでしまっては魂も何も台無しだからさ。感情も心も、死んだ時点で私達に観測できなくなってしまう。私は彼女と違って魂は21gの物質だとは思っていないし、仮にそうだったとしても、愛する人を独占したいなら生きたまま監禁する方が良いだろうに。複数の実験と罪を重ねるのに釣り合わないだろう。まったく、理解に苦しむね」


ト:倫太郎モノローグ

有栖川倫太郎:

その時の玲子さんの目は、熱を一切帯びていない冷徹さを湛(たた)えていた。

この人は本当に、分からないんだ。愛する人のために狂気に手を染めてしまうという人の心が。一度でも人を愛したことがあれば、この犯人の行動を容認することは出来なくても、その一端に理解を示すことくらいは出来るはずだ。

そして犯人にとってそれは、愛してやまない人の魂が21gの物質としてそこにあると、あってほしいと願うほどに強い想いだった。僕が、玲子さんの心がそこにあると信じるように。

でも、玲子さんはそれをひとかけらも理解できないんだと、その眼差しが教えてくれた。玲子さんに心はあると信じたいけど、やっぱり凡人の心情なんて理解できないのかもしれない。平凡が非凡を理解できないのと同じように、彼女もまたその視座から見えないものがあるのなら、それはとても―――

夏目玲子:

「さて、突然だが倫太郎君。君に次のバイトまでの宿題を出そう」

有栖川倫太郎:

「え?本当に唐突ですね」

夏目玲子:

「いくら雑用係とはいえ、私の助手がいつまでたっても平凡では面白くないからね。変わっていくためのトレーニングとでも思いたまえ。

――今日私が披露した推理の中に、嘘がある」

有栖川倫太郎:

「―――えぇっ!?」

夏目玲子:

「ああ、犯人追及に支障はないから、灼への連絡は不要だ。まあ、厳密には嘘ではなく彼の早とちりだしね。君には私の推理のどこかを、もっと真実に近いものに置き換えてみてほしい」

有栖川倫太郎:

「え、そんな。僕あの推理に違和感なんて感じませんでしたし、納得しちゃってましたけど」

夏目玲子:

「権威バイアスだね。じっくり考えれば、不思議に思う点が出てくるはずだ」

有栖川倫太郎:

「な、なにかヒントを!」

夏目玲子:

「ふっ。初歩的なことだよ、私のかわいいワトソン君。ヒントは、健康、だ。知恵を絞り、想像したまえ。面白い推理を聞かせてくれることを楽しみにしているよ、倫太郎君」


ト:終幕

ト:以下、別のシナリオとして投稿していた回答編を掲載しています。そのまま読めますが、上まででいったん切っていただいても、続けて読まなくても構いません。台本としては上記で一区切りです。


***後日談/解答編***


ト:玲子スマホ・着信

夏目玲子:

「もしもし?」

眞道灼:

「騙したな」

夏目玲子:

「開口一番物騒だな、灼」

眞道灼:

「とぼけるな。お前はあの時、こうなると分かっていたんだろう」

夏目玲子:

「そう苛立つなよ。犯人は捕まえられたろう?」

眞道灼:

「――あぁ。だが、被害者のスマホにマッチングアプリを使った記録はなかった。自宅のPCにもだ」

夏目玲子:

「なら、私が推理を外したというこ——」

眞道灼:

「お前が間違えるわけないだろう!夏目玲子、お前が解体できない謎はない」

夏目玲子:

「――ふふん。まぁね」

眞道灼:

「ならば、お前が面白半分に俺を騙したことになる」

夏目玲子:

「ご明察。まぁあれは、早とちりした灼も悪い。思わず悪戯したくなるというものさ」

眞道灼:

「はぁ――本当にお前という奴は」

夏目玲子:

「それで?私に騙された刑事殿は、それでも無事に犯人を逮捕出来たわけだが?私の与えたヒントに、不備があったのかな?」

眞道灼:

「っ―――機材の特定を行った結果、いくつかの病院が確認できた。その中に、被害者の一人、病院の機材管理を担当していた男性の勤務先の病院があった。俺たちは怨恨の線で捜査していたため、被害者に恨みを持っていそうな人物は調査していたが、今回は改めて、その男性の周辺を徹底的に調査した。

そこで浮上してきたのが、死亡前一ヶ月ほどから彼と親密な関係になっていた一人の女性研修医だ。周囲にも秘匿していたようだが、事情を知る数少ない同僚には、男性には不釣り合いな印象だったが、トラブルもない静かで清い交際に見えていたようだ。交際期間の短さから、後を引いていない彼女の様子も特に不審に思われなかったと」

夏目玲子:

「そう。彼は利用されていた。加害者である彼女が病院の機材を持ち出せたのは、彼が協力していたからだ。彼は被害者であり、共犯者だったんだよ。彼女が何の目的でそれらの機材を持ち出していたのかを知るころには、彼は薬で意識を失っていただろうがね。

さらに言えば、彼だけは、恐らく彼女に"体重を調整された"被害者だろうね。口封じに消すついでに実験台にしようとした。身長が同じなのをいいことに、交際相手という立場を利用し食事をコントロールして、目的の体重に調整――”実験”が十分となったタイミングで最後の被験者になった」

眞道灼:

「やはり、全て分かっていたんだな」

夏目玲子:

「ふふん。彼以外の被害者は、全て健康診断のデータを元に探し当てている。職権乱用だな。労働安全衛生法により、事業者は労働者に対して健康診断を受けさせる義務がある。彼女はそのタイミングで目星をつけた被害者に接触、実験の舞台を整えた。マッチングアプリの身長体重なんて、本人が良いように見られたくて鯖を読むのは火を見るより明らかだ。――誰かさんは引っ掛かったがね」

眞道灼:

「あの時、玲子が『無職は居なかった』と俺に確認したのはそういうことか――」

夏目玲子:

「まったく、灼は刑事としては優秀だが、人が良すぎるな。私を信じすぎる」

眞道灼:

「だが、あの場では有栖川君だって」

夏目玲子:

「倫太郎君なら、君よりも早く真相に辿り着いたよ」

眞道灼:

「なっ!?」

夏目玲子:

「ふふん。まあ、宿題が解けたのはついさっきだがね。優秀なんだ。私のワトソン君は」

眞道灼:

「――ふっ、そうか」

夏目玲子:

「で?」

眞道灼:

「ん?」

夏目玲子:

「私が聞きたかったのはそこじゃない。二度も言わせないでくれ。『私の与えたヒントに、不備があったのかな?』」

眞道灼:

「・・・」

夏目玲子:

「『男性には不釣り合いな印象だった』んだろう?病院と男性が紐づいた瞬間から、彼女に行き当たるまでにその情報は有用だったはずだが?」

眞道灼:

「―――後日、買っていく」

夏目玲子:

「ふふん」

眞道灼:

「有栖川君も呼んでおけよ。せっかくだから、遅めの誕生日祝いでもやろう」

夏目玲子:

「あぁ、楽しみにしているよ灼。いや、今回も楽しかった、かな」

眞道灼:

「あまり苛つかせるなよ。買っていくボトルに一服盛りたくなる」

夏目玲子:

「おや、灼。君も毒を混ぜて私の体重を計るのかい?眠れる乙女に恥辱の限りを尽くそうだなんて、これは奥さんに報告ものだな」

眞道灼:

「っ――いっそ永眠できるように水銀でも垂らそうか、眠り姫」

夏目玲子:

「ふふん。それで永遠が手に入るなら、是非頼むよ」


ト:終幕


台本としてはここまでで、以降は資料ですので、無視しても構いません。

事件資料

犯行1 鼻口閉塞殺害 +15g

犯行2 同右     -21g

犯行3 同右、並びに右腕切断。増減-32g切断した四肢は別に計測し、四肢に重量変動が無いことを確認(錯誤)

犯行4 同右、切断部位を左腕に変更。-26g

犯行5 同右、切断部位を右脚に変更。-54g

犯行6 同右、切断部位を左脚に変更。-32g

後日、7人目の犠牲者が出る前に眞道刑事が犯人を逮捕。ちなみに7人目がストーカーしていた本命の男性の予定だった

精神はどんどん歪み、部位を絞ったあたりで保管、心中という方向から捕食し一体化する計画に移行した。

登場人物詳細

夏目玲子 二十七歳

寂れた雑居ビルに探偵事務所を構える残念美人。社交性や協調性に欠け、好奇心に突き動かされて生きる謎食い。幼少期から好奇心の塊。疑問を解き明かすことに魅入られ、知識を貪欲に得ていた。

寡黙で不器用な父と母にも愛されていたが、小学生の頃に母が他界。その哀しみで父がおかしくなり自殺。人の心についての疑問を持つようになる。

そうして人の心の機微を理解しようとする中で自分が変わり者であると気づく。

人を愛するとはどういうことなのか、母は生前、いつか分かる時が来ると言っていたが、いまだ理解できずにいる。

謎を解く、知識を得ること以外の優先度が低い玲子にとって他人の人生は関心をもつ対象にはならなかった。ただ、傍観者としてその心の在り様を観察することには興味を持つようになる

科学的な事実と違い、定型の解を持たない人の言動がもたらす謎は、彼女の欲を刺激していった。

傍観者、観察者、解体者である玲子。

だがいつか、人の心に触れ続けていれば、父の行動と母の言葉の意味を知ることができるのではと淡く期待している。

大学では行動心理学を学び、卒業後は欲求を満たすために都合のいい探偵業を始めた。

その性質上交友関係も狭く、謎を持ち込んでくれる高校時代からの友人、眞道灼、事務所の雑居ビルオーナーで一階の喫茶店のマスター、森久保明美(今回未登場)

バイトで雇った有栖川倫太郎の他には、深い交友関係はない。

眉目秀麗で黙っていれば超絶美人だが、歯に衣着せぬ物言いと謎解明に対して直球すぎる姿勢から当たり前の交友関係を持つことが出来ない。

高校時代、その好奇心(性行為によって愛が理解できるのではという期待)から灼と一夜を共にしているが、結果は失敗。

それが故に、結局、愛し愛されることへの理解に対して遠回りをすることになる。

有栖川倫太郎 二十歳

大学のサークルの飲み会の罰ゲームであからさまにやばそうなバイトの面接を受けることになり玲子の事務所へ

そのままずるずると手伝いをすることになり今に至る

平凡で、一般的な人生。人並みで、不幸もなく、かといって特別な何かもない。

特別が欲しい。特別に触れていたい。そんな倫太郎にとって玲子は待ち望んでいた異質な人材だった。

玲子は平凡から逸脱した視座を持ち、異界を覗くように人の心を見透かす。

玲子の側にいればそんな特別に浸れる。

でも、自分が何も持たないことさえ見通され、それを悔しく思っている

彼女の興味の対象になれた時、自分は特別になれるのではないか

そして今日も、心の奥底ではほの暗い感情を抱きながら、彼女の隣にいる自分の無価値感に俯く。

給料が高いが故にヤバそうなバイトと思われたが、その正体は警察が持ち込む情報の守秘義務つきの玲子の適当金額設定。

眞道灼 二十七歳

玲子の幼馴染で警察官

奇怪な事件の捜査に行き詰ると玲子を頼る

高校時代に玲子を好きだったかもしれないが、気持ちが固まる前に好奇心に突き動かされた玲子に誘われてなし崩し的に一夜を共にしてしまい、

自分の気持ちの在処に自信がなくなり、玲子に対してどういうスタンスを取るか分からなくなってしまった。

玲子も情欲への興味を失って別のことへ没頭したのでそのまま。

彼の方は一途で真面目な性格なのであれこれと悩んだが、玲子の方はもう次の興味関心へと心が移っていた。

その後大人になって普通に結婚し幸せを掴み、彼女への後ろめたさだけが残った。

自分が責任を取れなかったがために、彼女が愛情というものを正しく理解する機会を奪ってしまった、と後悔している。

最低限の友人関係だけが残っているように見える状況が続く中、

仕事柄殺人などの現場で不可解な謎に行き当たることも多く、彼女の求めるものと事件解決の為、彼女を頼るようになる。

理性的だが律儀で思いやりはある、おせっかい焼き。

警察官として有能な方だが、玲子への後ろめたさと刑事としての責任感故に玲子を頼っている。

倫太郎に、玲子に普通を教えるという役割を期待している。

彼女のことをどこか恐ろしいと思っているし、かつてはその恐ろしさ故の特別さこそが魅力に見えていた。

今普通の幸せを知った灼は、玲子にもそれを知ってほしいと願っている。故に倫太郎に期待をかけて、秘密を教えた。

作者あとがき

終幕以降の文章は演者さん向け、読んでくれた人向けなので、上演時に観客へ提示する必要はありません。

せめて遊んでくれる人へ情報をなるべく残したいなぁという人物詳細とあとがきです。

無論そういうものを不要だと思う方は無視してご自身の解釈で遊んでいただいて一向に構いません。

バイアスとは、人間の思い込みによる偏った思考、くらいに捉えていただければ問題ありません。

気になる方は、それぞれ出版バイアスなどそのまま検索していただければ普通に出てきますのでどうぞ。

詳細に書いた玲子と灼の過去とかは作者の設定に過ぎないので、無視して演じても構いません。

このシナリオをシリーズ化して伏線回収する予定がないので書き残しただけです。

今後があるかは正直反響次第ですね。

最後に、ここまでお読みくださりありがとうございます。

人生初のミステリーで、しかも犯人は出てこないという構成になりました。

声劇台本なんだし、殺人犯が出てきてドロドロした感情があってサスペンスがあってってのが面白いのかもしれませんが、これまでの台本同様、基本スタンスが他にないものを書きたいなぁなのでこうなりました。

叫んだり泣いたりといった感情の起伏はないし、事件自体もパッと分かりやすくはないですが、人物の背景やセリフ一つ一つの距離感を楽しんでいただければ幸いです。

刹羅木劃人

刹羅木劃人の星見棚

一つの本は一つの世界、一つの星。

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