擦られやすい台本について思ったことメモ書き
チ。地球の運動について
傑作でしたね。という話をし始めるとマジで本題に入れなくなるので、そちらはぜひ作品をご覧ください。
以前、タイムラインで話題になってた擦られる台本(=複数回上演される台本)について言及しましたが、それの追記版、というか、チ。にまつわるいろいろを見て改めて思ったことを補足して再整理しておこうというのが本文です。
以前述べたのは、台本における上演時間(=長さ)、男女比率、セリフバランスの3点が主でした。いわゆる数値化できる側面での話ですね。(そのツイートの文章はページ下部に載せておくので、気になる方はそちらもどうぞ)
作品の面白さ、みたいなものは、人によって感じ方が違うので、数値化できません。なので、その時は除いてました。
同じ本を読んで面白さを点数化してみても、人によってバラバラなので、一律に評価できない。一方で時間やセリフのバランスといった比率は数値化して、誰から見ても同じものなので、こういった『みんなの流行を可視化しよう!』という話なら、数値化、客観化できる視点から話をしようと思っていたのです。
で、今回はあえてその「面白さ」みたいな側面から話を展開してみようと思います。
といっても、何が面白いかなんて人によるので、やはりここでも論じるうえではラベリングとカテゴライズをしなくてはなりません。
つまり、私のこの論においては「○○みたいな性質をもつものをXXと呼ぶ(ラベリング)」や「こういうものを▲▲という分類に置く(カテゴライズ)」という流れの中で話を進めますので、ご注意ください。
さて、早速ですがラベリングとカテゴライズです。表で図示しますね。
縦軸、クオリティの良し悪しはそのままの意味です。
好みとか流行に左右されない部分での『出来の良さ』になります。
『日本語が変、キャラの言動が(意図的な仕掛けではなく)一貫してない、シナリオの整合性が取れていない』
といった要素で、そもそも物語として、脚本として変だよねという場合に『悪』に寄ります。
展開やセリフ選びが適切かつエモーショナルなど、いわゆる加点要素になり得る要素で『良』としますが、ここは人によって違うところ(どんなセリフがエモいか、とか)なので、「悪」でなければひとまずOKくらいで考えてます。
本題は横軸の方、快・不快への到達容易性です。
チ。の編集、千代田さんのインタビュー動画を拝見して、すべての漫画は面白い漫画と気持ちいい漫画のグラデーションの中にあるというご意見を伺いました。
これを少し言い換えたのが、この快・不快への到達容易性、つまりは『気持ちよくなるまでのハードルの差・コストの多さ』『気持ちよくなりやすさ』です。
この横軸は、縦軸と違ってどっちかが優れているというわけではないです。ただ、「擦られる台本」という意味では右よりかなと思います。
千代田さんの言を借りると、『気持ちいい漫画は俺ツエーや異世界転生チート付与のような、読み手の肯定や癒しの効果をもたらす物』です。
つまり、フィクションの側に読者を連れていき、現実から遠ざけ、心地よい夢の中での体験をくれるもの。
そのためには、小難しいシナリオや複雑な社会背景は削いで、分かりやすさを重視しなくてはいけない。
分かりやすさを重視するのは全ての物語において大事なことですが、こと快・不快といった情報を伝えるにおいてはノイズは少なくなければ成立しないところもあります。ちなみに、不快というのはホラーとか悲恋の要素の話です。否定的な要素というわけではないです。異世界で美少女にモテたり、ロボットを操縦して戦ったり、ホラーサスペンスで奇妙な体験をしたり、その世界に没入し、快・不快の体験をするのに、回りくどい前提を理解しないといけないとか、そういうものは邪魔になる。読んでて・演じてて気持ちのいいもの。その気持ちよさにたどり着くまでが容易で、記号化され、類似性の中から引っ張ってきやすいものであること。その意味で、キャラクターの魅力が重視される(記号化としてのわかりやすさの補強)と思ってます。現実にこんな奴いねーよって一人称とか語尾ににゃんとかついてるのがわかりやすいでしょうか。
非現実性(=フィクション性)の強さが、現実とは違う世界への没入のためのツールとして機能するからです。
ただ、この非現実性は気持ちい夢をみる効果は強いものの、故に「あくまでフィクション」「絵空事」になりがちです。でもそれが良い。俺だって特に深い意味もなく美少女の嫁が複数人居る世界めちゃ良いねって思う。
一方で、「気持ちいい」ではなく「面白い」もの、これは快・不快までが『遠い』というイメージです。
これまで自分の中になかった価値観や、複雑な世界設定、難解なトリック、それらを内包する作品は、咀嚼するコストや従来の価値観を否定する気持ち悪さといった『読みづらさ』を乗り越えなければ、快・不快にたどり着けない。しかし、乗り越えた先にあるのは、『今までの自分ではすんなり読めなかった新しい世界や価値観、出来事』です。乗り越えたからって必ずいい作品とは限りませんけどね。複雑なファンタジー設定だけ凝ってて中身いまいち、みたいなこともあるかもしれません。でも、少なくとも読む前と後で自分が変化する。新しい価値観が自分の中にじわっと入り込んできて、今後の自分の人生のいろんな選択や考え方に影響を及ぼす。世界の見え方が変わる――補足する角度が多角化し、色彩のバリエーションと細部の解像度が上がるのです。
つまり、「気持ちいい」が「非現実性が強みの絵空事」なら「面白い」は「現実における自分自身に影響するフィクション」というラベリングです。どっちも性質が違うだけで、優劣はありません。欲しい時に欲しいほうを摂取して、読み手に合っていて素敵な作品なら楽しめる、というだけです。千代田さん曰く、すべての作品はこの気持ちいいと面白いのあいだにグラデーションのように存在しているとのこと。なるほど~って思いました。
千代田さんのインタビューでは、チ。は「面白い」よりで、しかも先述のキャラの魅力で売る方法とは真逆の、時代の移り変わりで主人公さえ死んでバトンタッチしていく方式でした。キャラを好きになってもらうことよりも、シナリオに寄り添ってもらうことを狙っていて、そこもまた「気持ちいい」とは違うところ。
さて、ここで擦られる台本に話を戻しますが、声劇界隈では『演じる本を演者が選ぶ』ので、シナリオ全体よりも自分が演じるキャラに焦点が当たりがちなのかなと思います。そしてセリフ(場合によってはSEなどの音響含む)の音声情報のみであるという点で、地の文章やヴィジュアルがない分、小説やアニメなどより情報の蛇口が狭いです。よって『魅力的なキャラ』と相性が良く、『複雑な物語性』と相性が悪いのかと思います。この辺が、自分が以前にミステリーは声劇と相性が悪いと言った理由です。例えばチ。みたいに、『シリーズものなんだけど、章ごとに主人公も登場人物も違う』というものは、声劇台本においてはシリーズとして受け入れがたいのではないでしょうか?皆さんは「演じる前提」で見てるので、たとえ同じテーマを扱った続き物だとしても、地続きのシナリオだと思ってもらいにくい気がしてます。
そして、ここでは趣味でやってる声劇の話をしてるので、ただでさえ他人と都合を合わせないとできない趣味であるという点において、かかるコストは抑えたいという面もあるかと思います。難解なシナリオは咀嚼が必要で、それが演者同士ですれ違うと、せっかく趣味でやってるのに「気持ちいい」まで行かない。もやっとして終わってしまうというリスクが生じる。
一方、自分の中で咀嚼するまでコストを払わず、記号化されたキャラクターを引き出しの中から連れてくれば掛け合いを楽しめるほうが、「気持ちいい」にたどり着きやすい。
いわゆる作品製作上のこの分類について、物語重視を「コンテンツビジネス」、キャラ重視を「キャラクタービジネス」という言い方をするのだと思います。そして声劇界隈に限らず、キャラクタービジネスが流行してるのは皆さん何となくお分かりかと思います。多数あるアニメも異世界転生俺ツエー系が多数枠あったり、映画もマーベルユニバースが流行ってヒーローキャラの二次創作を広げ続けている。なので、そもそも読み手にコストを強いる「面白いもの」は受け入れられにくく、「気持ちいい」は快・不快までが手近で受け入れられやすいのだと思います。
よって、(趣味として皆さんの中で遊ばれる・選ばれやすいという意味での)擦られる台本には『気持ちいい』ことが大事で、それは『快・不快までの到達が容易であること』なのかなと。
表で言う右上かな、といったのはそういうことです。キャラクターとしての記号化されたわかりやすい魅力、その重ね合わせとしての掛け合いがある台本が、複数回擦られるのかもしれませんね。個人的な趣味は書くのも読むのも左上側なんですが、声劇とは相性があまりよくないのかなと思ってます。これは自分のバイアスもあると思うので、そんなことないよ!というご意見も見てみたいなとも思っています。
表のジャンルはあくまで傾向です。その中でもまたいろんな味付けがあるので、そこは深く考えずにおいてます。
以上、最近思ったことでした!皆さん、チ。地球の運動についてをみましょう。
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(ここから以前のツイート転載)
昨日おじゃました雑談で、今散見されるタグから派生して『擦られやすい本』ってどんなだ?という話をしたのでメモ
個人の感想です
ポイントは長さ、男女比、セリフバランス
『擦られやすさ』はつまり手に取りやすい、人に声掛けやすいことの裏返しなので、この辺の要素の影響が強そうだなと
長さは10-20だと短い、50-70だと長いの印象
スケジュールの合わせやすさや1回あたりの負担、前後のトークも込の配信だと、30-40分くらいがやりやすく、声掛けやすく、それなりの満足感があり、シナリオにも相応のボリュームがあるものが選べるので、長くても1時間いかないくらいかなと。
男女比は、不問が多いほど良いのはわかりやすいですよね
声劇の予定を立てるとき、企画などで本が先ならここは関係ないですが、擦られやすいという条件においては、声劇を日常の趣味として遊ぶ人にとって、という観点からの判断になりますので、本よりも人が先に決まるのが通常だと思います
つまり、不問な時点でそこは縛りが無くなるので、手に取りやすくなる▶︎選択肢として残り続ける
どんなに面白い本でも、今回お約束した男女比と合わない時点で選択肢には残らないので、ここも『擦られやすさ』において大事なポイントだと考えます
全部不問とか、極端な話人数さえあえば選択肢に残り続けますからね
本の内容(難易度やジャンル)にかかわらない縛りがあって、そこをクリア出来る要素が男女比率不問であるということ、なので、そりゃ影響強いですよね
後は男女の偏りがなるべくない方がいいんでしょうね〜男3女1とか、少ない方の人へ声かけるの難しいですよね
セリフバランスについても、極端にセリフが少ない役を配役するのが申し訳ない、というのは誰でも思うことで、共通の時間で遊ぶのにそこに偏りがあると心苦しいですよね
特に声劇の性質上、舞台と違って『セリフは無いけど舞台には居て、身振り手振りの芝居がある』わけじゃないので、セリフがないと聞いてる側からすると存在感が非常に薄れる。もちろん、セリフが少ないなりの魅力はありますが、本を演者が選ぶ遊びである声劇において、割を食うような印象のあるセリフ少ないキャラというのは、振る共演者からしても少し気後れするものだと思います
よって、セリフバランスは量が近いほど手に取りやすくなる。
他にもあるかもしれませんが、この3つのポイントは日常の趣味としての声劇において、多くの人に選ばれやすい本の要素として大きいかな、と思ってます。列挙すると、負担になりすぎず、それなりのボリュームで、不公平感がなく、皆の満足度が高くて、予定も立てやすく、セリフが平易で、キャラが魅力的で、シナリオが負の感情に寄っている部分があり、キャラごとに見せ場があって、読後感が良く、掛け合いの楽しみがあり、感情の発露が分かりやすく配置されている、とかでしょうか。付随的な理由として、既に知名度が高い本もありますよね(面白さを経歴が担保していて、初読の負担がない)
負の感情に寄っている、のあたり分かりづらいかもですが、なんかしんどい本、尖ってる本、話題になりやすい印象ないですか?
マイナス感情は心を動かし(動かされ)やすいので、関心もそそられるし話題にもなりやすい
まぁ、正の感情だけの本とかよく分かりませんが、負の感情要素が強いものの意味です
ジャンルはそんなに影響ないのかな?と思ってます
特定のジャンルだけが有意に流行る印象はあんまない気がするので
そこはどっちかって言うと知名度補正で時間が経てば経つほど強くなる魅力的なシナリオがシリーズ物だった場合にひっぱられるところかなーと。
長さはジャンルと一部相関あるかも
60分超えるコメディとか中々ないんじゃないでしょうか?
10分のミステリーやサスペンスもしかり、ジャンルごとの適正所要時間みたいなものはある気がしますね
このジャンルはこの時間帯の本が1番擦られる、みたいな
すげー長いこと喋ってますが、外側から見た話なので見当違いもあるでしょうし、演者さんからしたらもっと大事な要素もあるかもですね。
(ツイート転載ここまで)
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