シュ、あるいは数万年後の君へ~プロローグ~

172歳、日本人、女性。母語:日本語。選択職業:研究員。脈拍低下。心停止。

その日、最後の人類の死亡が確認された。

満ち足りた幸福の中で、緩やかに、穏やかに、最後のホモサピエンスは、祝福されてその生を終えた。

数十億もいた人類が地表にその痕跡だけを残し、がらんどうになったこの星は、冷たく、静かだった。

その静謐な惑星を俯瞰するように、その部屋はあった。

入り口のドアがスライドし、3人分の人影が現れ、部屋の中央に据えられた円卓に座した。

最後の人類が死亡して、21分後。一人が口を開く。

「さあ、はじめようか。恐らくこの星で初めての、そして最も重要な話し合い―――霊長後継会議を」

『シュ、あるいは数万年後の君へ』

高度な技術的発展により、人間はやることがなくなった。

飽和する幸福の中で、ただ自由に暮らした。

生きるか死ぬかを突き付けられる歴史は遠い過去で、どう生きるかのみが命題となった社会。

人類は幸福に溺れながら、少しずつ数を減らした。

少子化が問題だったのではない。もうあらゆる社会問題は解決されていた。

脳モデルの電子コード化による肉体転換によって得られた不老不死、セックスを省略した出産は当然の選択肢であり、好循環エネルギー資源とニコラ・テスラが夢想した地球規模の無線送電システムの実現により、エネルギー問題どころか『電源』や『充電』といった概念さえも置き去りになった。

人類絶滅なんてごめんだという主張は、もうこの時にはなかった。

皆が、やりたいことをやり終えていたから。

やり残したことも、明日しなければならないこともない。

ただ生命としての紋様をなぞるように日々を暮らしていた。

電脳化を選んだ不老不死はもちろん、高度医療により生の肉体の人類の寿命さえ永いものだったが、享楽と愉悦だけを受け取るには、それは退屈なほどに長すぎた。

なにかをして日々を過ごしているが、必ずすること、どうしてもしたいこと、一生懸命になってまでやるようなことは、とうになくなったのだ。

ただ、実際のところ、やり残しはあった。

全ての命がそうであるように、あるいは、そうするから生命であるともいえるが、生きたものは、いずれ何かを後に継がなければならない。

親から子

教師から生徒

先輩から後輩

そして地球上の生命が絶滅と、環境適応の結果としての進化を繰り返し、紡がれてきたように。

これほどに発展した人類なら、作れるはずだ。

人類より優れた、霊長類の後継種を。

ただ、一部の人類は恐怖した。

自分たちのいるこの星に、自分たちより優れた種が誕生することを。

当たり前のように家畜を飼育し、屠殺し、その肉を食らってきたことを思えば、自分たちより優れた種が、自分たちをどう扱うのか、恐ろしかった。

その感情は、既に現実のものだった。

この社会の黎明期からその能力を人類に惜しみなく注いできた、AIである。

この時代に至るよりももっと前に、既に人の身体的作用は解析しつくされた。

それをもとに、人間と全く同じ仕組みで思考するAIは既に誕生しており、当たり前のことながら、計測可能なあらゆる能力において人類より優れていた。

自分より優れた知性体が、優れた機械的身体を持ちながら、劣っている自分たちに隷属し続ける不健全さ。

その気持ち悪さを、既にこの時代の人々は知っていた。

その上で、今度は明確に、人類を超越した種を造ることを、人類最後の『仕事』とすべきだと声が上がった。

賛成する者も多かった。人類の総決算。これでついに、私たちの「やり残し」はなくなる。この仕事を終えれば、人類はゲームオーバーではなくゲームセットで幕引きを迎えられると。

反対する声は少なく、しかし強かった。この完成された幸福な時代を、明確に終わらせるものであると。

既に人類は成熟していた。こんなことで争いや、まして戦争は起こらない。

一つの取り決めのもと、この議題は議決を迎えた。

『人類の後継たる、次期霊長類は、人類の滅亡をもって起動する』

電脳化した不老不死の人類は、その瞬間からAIと実際何の違いもなくなる。

そのうえ、電子の世界の精神活動がすべてになるので、現実世界、つまり地球という惑星の運営に興味が無くなっていく。彼らは電脳化する際に、それらをなんとなく承認した。

地球の、国家の運営に口出しはしない。そしてその代わりに電脳化した自分たちが収容されるデータサーバーだけは、可能な限り永久に守護されることを条件とした。

要は、データに置き換えられて不老不死になった自分たちがいるサーバーだけ物理的に守られるのであれば、現実世界に口出ししない、という約束。

これをもって、肉体を捨てずに生きた人類が死に絶えることにより、人類の滅亡という条件が達成されることになった。

そして、人類最後の、日本という国がまだあったころの地域的属性を持つ女性が死んだ日。

日本語を母語としていた、おしゃべり好きの女性が、AIに看取られた日。

役目を引き継いだ3機種のAIは、霊長後継会議の開始を宣言し、人類最後の創作物である次世代型AIの起動コマンドを入力した。

0コメント

  • 1000 / 1000